「なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。
働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、
ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。」聖書より
昔、クリスチャンの時私は心配事があるとこの言葉を思い出していました
百合に限らずお花って綺麗ですよね。
働きもせず、紡ぎもしないのに神様はあれほどまでに美しく装ってくださっています。
お花にさえもそうしてくださる神様が人間の私達によくしてくださらないわけがありません。
今は、神様の存在は目に見えない大きな力、宇宙、自分自身の潜在意識ととらえているけれど、その存在に愛されていると感じているので心配事はありません。
くよくよしても仕方ないよって人に言われてもこの大きな存在が理解出来ないと心から心配事は無くなりません。
どれほど自分は愛されてるのか考えてみてください。
ありのままの自分で、欠けだらけでも
そのままの状態で愛されていると知ることが出来れば
たとえ失敗しても、完璧じゃなくても何の不足感も不安感も無くなります。
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